サッド・ヴァケイション

trifle2007-09-19

映画『サッド ヴァケイション』・オフィシャルサイト
「Helpless」「EUREKA ユリイカ」に続く“北九州サーガ”の集大成だそうなので、たいそう興味深く、観なければいけない衝動に駆られる。青山真治監督の重さは、心地よいときと、そうでないときがあるので、映画館のあの大スクリーンで観るのを躊躇していたのだけれど。なによりも、マイ好きな俳優殿堂入りの浅野忠信、今いちばん好きなオダギリジョーが出演するとあらば、観ないわけにはいかない。「アカルイミライ」以来の素敵組み合わせ。
この「サッドヴァケイション」は、「Helpless」から11年、「EUREKA ユリイカ」から7年という月日が流れている。北九州サーガの集大成だと聞いていたので、うっかり健次(浅野忠信)と梢(宮崎あおい)の物語だと思っていたけれど、そうではなくて。健次と母千代子(石田えり)、そしてその他健次をとりまく女たちの物語なのだ。健次が主演ということもあって、「Helpless」のことは語られるのだけれど、「EUREKA ユリイカ」のことはあまり多くは語られない。それに、なんだか観客をおいてけぼりにした印象を受ける。深く理解しようと思えば思うほど、「Helpless」「EUREKA ユリイカ」を観てくることが大前提で。どちらか一作だけでもダメで、どちらとも観て、そしてこの映画に望んでくれと言われているような気がして、すこし窮屈に感じた。わたしは、どちらも観ていたのだけれど、隣の人はどちらも観ていないようで、終わったあと「まこちゃんて誰やねん?」と聞いてきた。わたしは、三部作といってもそれぞれは独立した映画なのだから、それだけ観て理解できるようでないとダメだと思う。それが、今作にはセリフだけにしか出てこないような名前でも、前作では主演であったのに。説明臭いことは望んでいないけれど、不親切すぎるのではと思う。誰がどんなシチュエーションで映画を観に来るかなんて、きっと誰にもわからない。ふらっとなんの予備知識もなく行く人だっているのだから、最低限その場で理解できるようでなくてはダメだと思うのだ。確かに映画なんて監督のマスターベーションなのだけれど、公開してお金をとっている以上、ある程度の譲歩は必要だと思う。
観たあと、なんだかどんよりとして無口になって映画館を立ち去った。重々しい空気が、肌にまとわりつく。ここまで誰にも感情移入できない映画というのもすごい。自分は誰にも侵食されることなく、あくまで第三者的な遠くから眺めるだけの映画。だからなのか、すこし退屈に感じてしまう。そのセンスにしても、理解できないことが多くて。10年もあたためすぎたのか、若干の古さを感じるのだけれど。現代の狂気、のようでいて、ほんのすこし前のような。
「ゆるぎない女」や「偉大なる母性」がテーマなのだそうだが、母千代子が微妙すぎる。彼女の行動や言動を、すごく奥深い菩薩のような母性とみられるかどうか。わたしはあまりそうゆう風に思えず、自分勝手な妄想と思い込みという風にとれてしまうことが多々あった。だから、ほんとうの狂気に対する怖さを感じてしまった。千代子が微笑む姿を観るたびに、ぞくぞくする。確かに、千代子は自分の信念やら思いに揺るぎがない。だがそれが母性かどかと言われれば、微妙すぎる。わたしには、思い込みだけで簡単に子供を操ろうとする女にしか思えなかった。万引きが許せなくて、殺人は許せる?それが偉大なる母性?たぶん、それを引き起こした人間の背景やら心情やらを理解した上での母としての対応なのだろうけど、そういう母の内情がよくわからない。母親だって女で人間だ。泣いたり笑ったり怒ったり動揺したり葛藤したり、感情がある。息子だからといってなにもかもを許せるほど、母とはすごいものなのだろうか。そんなことないと思うんだけどなあ。母だって子を許せないときだってあるんじゃないだろうか。もうちょっとそういった負の部分を丁寧に描いてくれたら、余計に「ゆるぎない女」「偉大なる母性」が際だったんじゃないだろうか。なんだかどうにも、マザコンの男の人が作り上げた虚像の母親のように思えた。母親とは、慈悲深い愛情に満ちあふれた菩薩のような存在であってほしいというような理想というか。ここらへん、母となった女性の意見を聞いてみたいと思った。
ただ、北九州の風景と役者はよかったなあ。哀愁漂う広々とした世界、澄みわたる景色。むしろそちらに一番愛情を感じた。監督はほんとうに故郷が好きなんだなあ、愛しているんだなあと。役者もだれもがすごかった。浅野くんは、こうゆう普通の感じのひとがいきなりキレルような役は、ほんとうにうまい。淡々としていて、ほんとうに演技なんやろか?って思うぐらい自然。石田さんは、圧巻。すこしふくよかな体が余計にリアルで艶めかしくて。菩薩のような笑顔なのに、ものすごく怖い。背筋が凍るような怖さがあった。宮崎あおいも、控えめながらいいなあ。最後のほうでみせる母性が、ほんとうに母親であるかのように思えた。板谷由夏は、凛とした女性の強さと秘めた母性を感じさせた。オダギリジョーは、やっぱりこうゆう謎めいた役にぴったり。今回、かなりの脇役だったのだけれど、それでもゆるーーく絡んできて、存在感のある印象に残る役だった。茂雄(光石研)と秋彦(斉藤陽一郎)のコンビも、なんだか和ませてくれるし、千代子の夫・間宮氏(中村嘉葎雄)も、弱そうにみえて芯のある男でよかった。役者みんなのための映画なのでは、と思うほど、みんながみんなよかったなあ。