湯けむり温泉叙情編

男女ふたりきりで行く温泉というものは、なんだかとっても不思議な感じがする。心許ないような、気恥ずかしいような、居心地の悪さというものを感じる。
わたしたちは夫婦ではない。赤の他人だ。戸籍も違えば、帰る場所も違うのだ。それなのに、温泉旅館に行くと、いっぱしの夫婦のような扱いを受ける。それこそいまにもそのくちから「奥様」という言葉が飛び出してきそうな感じ。旅館の記帳は代表者だけでよいので、それもしょうがないんだろうけど。もちろん、旅館のかたからしたら、カップルほど扱いづらいものはないと思う。さんざんと輝くマリッジリングでもしていれば夫婦であることはわかるのだろうけど、リングもしていないわたしたちのような中途半端な年齢の男女ふたりというのは、どちらなのかあやしいもんである。「旦那様」や「奥様」と呼んでいいものか。かといって、単刀直入に「ご夫婦ですか?」と聞いてくれるわけでもないので、きっとわかっていないのだ。どう呼んでいいのかあやふやなまま、接待だけは完璧な夫婦なのだ。
夫婦になったことのないわたしは、いまだその扱いに居心地の悪さを覚える。おしりがむずむずするような、なんともいえない気恥ずかしさや、現実ではない複雑さを覚えるのだ。未熟なわたしたちが、なんだかとっても完璧なものであるような、不思議な感じと。帰り際、「またね」といつものように別れるのに、いつまでもいっしょにいられるんだと錯覚してしまう。そして、それはやっぱり錯覚でしかないので、さみしくて切なくなるのだ。それなら錯覚しなきゃよかったと、ふと思う。そうすれば、さみしさがすこしはやわらぐんだろうか。でもけっきょく、それがおおきかろうとちいさかろうと、「またね」をいう瞬間がさみしいので、おなじことかなー。
たのしさのあとには、いつもさみしさが待っている。のだ。